ランス産のハムなどと相性良しというロゼ・シャンパーニュ。
ピノ・ムニエ/ピノ・ノワール
ハムなどと相性良しというロゼ・シャンパーニュ。マルヌ川の渓谷に居を構えるレコルタン・マニピュランの造り手。ムーセ家は1629年以来、ブドウ栽培家として代を重ねてきましたが、1880年にキュイル村に根をおろしてからは4世代に渡ってワインメーカーとして営みを続けています。ドメーヌとしての最初の瓶詰めは1923年。ウジェンヌ・ムーセ氏は、当時買い手の気まぐれによって変動するブドウの価格に辟易し、このような相手に依存することなく自分たちの手でシャンパーニュを醸造しようと立ち上がりました。1926年には商品としてリリースを開始し、1939年の第二次世界大戦まで売上は順調に推移していましたが、ウジェンヌ氏と息子のエドモン氏がナチスによりドイツに強制送還され、ドメーヌにはウジェンヌ氏の妻スザンヌ氏が取り残されました。ウジェンヌ氏は1945年、ハンブルク港南東のノイエンガンメ強制収容所で悲劇的な死を遂げ、氏の努力は水泡に帰したかのように見えました。しかしこの最悪の事態にあって、息子のエドモン氏は何とか難を逃れることができ、スザンヌ氏は息子が回復し帰還に至るまで、果敢にドメーヌを守り続けたのです。果たしてエドモン氏がドメーヌに戻ると「ムーセ・フィス」は新たな命を吹き込まれたかのように復活し、新しい冒険が始まったかのようでした。卓越したワイン愛好家であり、目利きでもあったエドモン氏は、家族の伝統を守るだけでなくシャンパーニュの品質をまったく新しいレベルに引き上げることに成功したのです。残念ながらそのエドモン氏は病気で1990年に亡くなりましたが、ブドウ畑とシャンパーニュに情熱を注ぐ息子、ジャン・マルク氏がドメーヌを継承。そして迅速に生態系の見直し、移行を開始し、畑を草で覆い始め、生産システムそのものを再考したのです。また、建築家でもあるジャン・マルク氏は、1990年に新しいプレス機を建設し、2009年には息子のセドリック氏と共に完全に環境に配慮した新しいワイナリーを造り上げます。しかし2013年に起こった事故でジャン・マルク氏は引退の途に就くこととなり、その後、セドリック氏がドメーヌを引き継ぎました。セドリック氏はシャンパーニュ委員会による実験的なワイナリーだけでなく、さまざまなワイン産地でも修業を積んだ後、自社のブドウ畑で多くの時間を過ごしました。そして氏の「本物の耐久性を備えた、超持続可能な生産を目指したい」という強い意志と情熱はみるみるうちに形になり始め、2014年には全ての合成農薬を永久に止めるという挑戦に成功したのです。それ以来、より良いクリーンな生産を目指しているという「ムーセ・フィス」ですが、ドメーヌの哲学として「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ」というサン・テグジュペリの言葉を掲げています。なお、ドメーヌの畑は三つの村にまたがっていますが、全ての区画が同じ南向きの斜面にあり、ここから自慢の個性豊かなピノ・ムニエが生まれているとのこと。そしてセドリック氏たちはこのユニークなテロワールを際立たせ、特上のピノ・ムニエを生み出すためにあらゆる努力を払っているのだそうです。画像がヴィンテージと異なる場合がございます。ご了承下さい。
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